インタビュー
付加価値をつけ、他社よりも高く売れる会社になる
株式会社中華・高橋 代表取締役社長 髙橋滉
- 更新日:2024/06/10
- 投稿日:2024/06/10
外食産業の拡大・発展とともに、事業を拡大してきた中華・高橋。時代の一歩先を読み、快進撃を続ける同社ですが、三代目社長の髙橋滉さんは、意外にも自分に自信がないままだと話します。 控えめな性格で、人と深い関係を築くことが苦手。両親からも「頼りない」と心配がられていた滉さん。大学生になり、就活をする時期になってもやりたいことが見つからず、無気力な日々を過ごします。そんな滉さんを見かねて、中華・高橋の二代目であった父が、アメリカに新会社を設立。滉さんは、そこに送り込まれます。最初は渋々仕事をしていた滉さんでしたが、次第に成果が出るようになり、「アクションを起こすことは楽しい、無気力なままではいけない」と思い直すように。この経験が、その後の自分の人生を大きく変えるきっかけになったと振り返ります。 日本に戻った後、父の早逝を受けて、28歳で事業承継。新たな事業として小売業を開始します。時代のニーズも相まって、この新規事業は大成功。2013年には、中華食材卸を60年近くやってきたことで得られたシェフたちとの接点を同社の付加価値と定義し、中華総菜の製造事業「C‘s kitchen(シーズキッチン)」を立ち上げます。これは、海外の環境保護団体がサメの保護を訴えはじめ、同社最大の強みであるフカヒレへの依存体制に強い危機感を抱いたこと、料理人不足と高級店での外食志向の低下により、近い将来、調理品が台頭するであろうことを読んで生まれた新規事業。「C‘s kitchen」は現在進行形で大きな成果を上げており、中華・高橋の新たな収益の軸となりました。 これだけの成功を収めてもなお、自分の人生に自信がないという滉さん。彼を突き動かす原動力とは一体何なのかを探りました。
- この記事でわかること
学生時代に家業に失望してしまい、継ぐつもりはなかった
――学生の頃から「家業を継ぎたい」と思っていましたか。
いやいや、まったく。中学生の頃までは将来、自分が継ぐんだろうなあとぼんやり考えていましたが、高校生の時に実家でアルバイトをする機会があって、その時に気持ちが変わってしまって。当時の中華の料理人って、とにかくガラが悪くて怖かったし、営業マンも値下げをして受注を取ってくるスタイルが当たり前になっていて、え、これを自分もやるの?と思うと、家業にどんどん失望してしまって。
――なるほど。
それで大学に進み、就活の時期になったんですけど、やりたいことが何も思いつかなくて。何かアルバイトでもはじめようかなとは思うんですけど、アルバイトをする気力もわかない。とにかく無気力でした。家業という受け皿があるし、どうにかなるだろうと甘えていた部分があったと思います。そんな私のことを見かねた親父が、私が大学を卒業すると同時にアメリカに新しい会社を作り、そこに行かせたんです。英語もまったくできない、無気力な男がいきなり海外に送り込まれたわけですが、そこでの経験が、私の人生をポジティブに変えてくれたんです。
――具体的には?
毎日、現地のパートナーとふたりでレストランなどにフカヒレを売り込みに行くんですが、必死にやっていくうちに、だんだんと英語もわかって、成果が出るようになったんです。自分が成長していくのを実感して、すごくおもしろくなりました。それまでの自分は、貨車や客車みたいなもので、引っ張ってくれるものがないと動かなかったけれど、無気力よりも何かをやっているほうがおもしろいと思えるようになったんですよね。本当に、人生がガラリと変わりました。アメリカに行くチャンスを作ってくれた親父には、心から感謝しています。
差別化を徹底したら、「フカヒレ=中華・高橋」の認識が定着していた
――アメリカから戻られてからは?
親父には『本社の営業をやれ』と言われていたんですけど、高校生の時の悪い印象があるから嫌でした。それで『業務用二次卸には未来がない。これからの時代は、小売りだ』という話を親父にして。ちょうど、ウチがフカヒレのメーカーとしての地位が確立されていた時期だったのでOKが出て、今の古樹軒(こじゅけん)というブランドの前身みたいなことをやり始めました。最初は苦戦してたんですけど、通販や百貨店で売るという活路を見出してからはおもしろいくらい売れて。でも、小売りが上手くいきはじめた矢先に親父が亡くなり。そこから苦労しましたね。
――何があったんですか。
私は小売りを離れて、本社を見なくてはならなくなったんですけど、本社の業務は何ひとつわからないから、番頭さんの言うことばかりを聞いていたんです。しかし、番頭さんとも、ほかの社員とも意見が対立するようになっていき……。彼らが是だと思ってやっている、どんどん値下げしていくスタイルの営業を私が全否定するわけですから、そうなりますよね。そしてある年の1月に、役職がついている営業社員から順番に15人も辞めていき、気づいたら大手業務用卸会社に新設された中華部門に移っていました。
――それは大打撃でしたね……。
だけど残ってくれた社員もいるわけだから、その人たちのためにも、今まで以上に成果を出すぞと気を引き締めました。その時に誓ったのが、値下げをするのではなく、付加価値をつけて他社よりも高く売れる会社になるということ。そしてその付加価値が何なのかを目に見える形にすることが、私の役割なんだと気づいたんです。
――他社との差別化ポイントを明確にしていくと。
フカヒレ業界を見ていると、差別化になるのは商品の品質と供給の安定性だとわかりました。そしてそれらをさらに因数分解し、どうすれば品質を向上できるのか、どうすれば安定的に商品が供給できるのかを考え、実行していきました。するとウチに対する信頼が積み重なり、ブランディングもしていないのに『フカヒレといったら、中華高橋だよね』と言われる状況になっていました。たとえウチが他社さんより2割高く売っていようとも、ウチを選んでいただける環境ができあがっていたんです。
中華の種を中華以外のフィールドに植えて、中華の実をならせる
――「中華を大事にすること」を会社の軸として再定義されていますが、何かきっかけはありましたか。
私って昔から、自分に自信がないんです。自分の人生にも自信がない。だけどそんな私が何をすべきかを考えた時に、強い部分を掛け算していけばいいんだと思いついたんです。弱い部分を見ていても、辛くなっちゃいますからね。それで、これから何十年と戦える自分の強み、会社の強みって何だろうと考えたら、やっぱり中華しかなかったんですよ。社名のまんまなんですけど(笑)。ウチには事業開発部という、レストランチェーン、スーパーマーケット、メーカーなどのボリュームが大きい市場を開拓する部署がありますが、中華の店には一切営業に行きません。というのも、たとえばピザでも寿司でもいいですけど、上に乗っている具材って何でも受け入れられる時代になったじゃないですか。エビチリが乗っていてもいい。結構前から、高級レストランではジャンルの垣根を超えた料理が提供され始めていて、これはウチの攻め時だなと思ったんです。だって、中華以外のフィールドのほうが、商売の規模が圧倒的に大きいじゃないですか。
――そうですね。
中華の種を中華以外のフィールドに植えて、中華の実をならせばいいんです。既存の中華という農園だけだと、収穫できる量が限られてしまうから。サメは持続可能性が低いけれど、中華は持続性が高いだろうと思って、軸足を中華に再定義したわけです。
――軸足の再定義もさることながら、御社は毎年のように大きなチャレンジをしていますが、次なる挑戦はどのようなことをお考えですか?
もともと私は無気力な人間だったし、今でも人と深く付き合うことが苦手だから、夢や野望が一切ない。自分に自信もないですから。だけど、私は今の立場である以上、社員を守らなきゃいけないし、お客様を守らなきゃいけないし、サメを獲ってくる船を守らなきゃいけない。みんながハッピーになるために、やるべきことがあるよなって話です。それらをやっている間は、安心するというか、生きることが許されている感じがするんですよね。私は未来を先読みするのは得意だから、みんなを守るために必要な未来への準備を、これからも続けていきたいと思っています。
中華・高橋
中国語が堪能で、戦時中に通訳として働いていた創業者の髙橋正が、中国駐在時にお世話になった中国人たちに恩返しがしたいと中華食材を取り扱う「高橋商店」を創業。その後、バブル期を経て空前のグルメブームが訪れ、創業からの商いの中心であったフカヒレが一気に憧れの高級食材に。「今こそ、卸売事業からメーカー事業へと転換すべき」と考えた二代目は、日本一のサメの水揚げを誇る宮城県気仙沼市に「株式会社中華高橋水産」を設立。フカヒレ専門業者としての地位を確立する。その後もフカヒレ事業は好調だったものの、将来性に不安を感じた三代目が小売り業を開始、大成功を収める。時代に合わせて事業の変遷はあるものの「中華料理で日本を楽しく、豊かにする」という精神は一貫している。
代表取締役社長 髙橋滉(あきら)
1973年、東京生まれ。大学卒業後、中華・高橋に入社。中華・高橋2代目である父がアメリカに立ち上げた新会社でフカヒレの販路開拓を経験したのち帰国。しかしその後、28歳の時に父が早逝し、2001年に代表取締役社長に就任。フカヒレ専門業者としての将来に不安を抱いていたことがきっかけで、2001年に小売事業をスタート。当時珍しかった「フカヒレの姿煮」を通信販売や百貨店ギフトのマーケットに持ち込み、成果を上げる。2013年には中華総菜の開発製造および情報発信拠点「C’sKitchen」を都内に設立。東京を中心に、2,000軒以上のホテルやレストランに中華食材を提供してきたなかで培ったシェフとの太いパイプを活かし、現場のニーズを的確にとらえた商品やアイデアの提案を食のマーケット全体へと展開。中華・高橋の新たな収益の柱を作り上げた。
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