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インタビュー

伝統に甘んじず、革新を続ける

  • 更新日:2024/04/10
  • 投稿日:2024/04/10

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酒好きであれば、その名を知らない者はいないであろう純米吟醸酒「獺祭」。近年では海外でもその名を轟かせ、もはや日本を代表する酒と言って過言ではありません。そんな「獺祭」を生み出したのは、山口県岩国市にある「旭酒造」。現社長の桜井一宏さんは、酒蔵の中に自宅が有った事もあり、幼い頃から酒蔵を継ぐんだろうなと自然に思ってはいましたが、日本酒業界が活気を失っていくのを間近で見ていたこともあり、家業を継がずに一般メーカーに就職することを選びます。転機が訪れたのは、当時働いていた東京で初めて、自分のお金で実家の酒を飲んだ時。「どの酒よりも、飛びぬけてうまい!」と感銘を受けたそうです。 東京の大学に進学、そしてそのまま就職したことで、物理的にも、心理的にも実家と距離ができていた一宏さんでしたが、実は、旭酒造の酒が評価されることを予測していました。というのも、創業時の旭酒造は安くて、酔えればいい酒を造っていましたが、この方針に危機感を抱いた一宏さんの父であり、3代目社長の博志さんが、品質重視の酒造りに大きく方向転換していたのです。最高品質の日本酒造りに挑戦した「獺祭」は、発売されるや否や大きな反響を呼び、旭酒造の業績も回復の兆しを見せていました。そうした状況もあり、「おいしいということは、お客さんにとって価値があるし、それを創る仕事には意義がある」と確信した一宏さんは、メーカーを辞めて2006年に旭酒造に入社。現場での下積み、海外での営業活動を経て、2016年に4代目社長に就任します。チャレンジ精神をもち、旭酒造を大きく方向転換させた父の姿を間近で見てきた一宏さんが考える、企業の成長に大切なこととは。

この記事でわかること
  1. リスクを避けるため、「元気なうちに事業承継する」と父と確認していた
  2. 超現場実践型OJTで、社員のモチベーションを上げる
  3. 災豪雨災害からの復活「獺祭・島耕作」誕生の裏側
  4. 海外でも月でも、日本酒が当たり前になるように

リスクを避けるため、「元気なうちに事業承継する」と父と確認していた

――お父様でもある現会長と、事前に事業承継のタイミングは決めていましたか?

具体的な時期は決めていませんでしたが、父が元気なうちに承継するという共通認識はありました。酒蔵業界もそうですし、伝統産業全般によくある話なんですが、父親が亡くなった時に継ぐパターンが多いんです。だけど前社長が亡くなってから継ぐと、社員が先代を神格化して抵抗勢力みたいになることがあって。何か新しいことをはじめようとしても『お前の親父やったら、そんなことはやらんかった』と文句を言って、ついてきてくれなくなる。そのリスクを避けるために、父が元気なうちに継いで、二人三脚でやっていく期間をしっかり作ろうという話をしていました。

――二人三脚で経営を進めるにあたり、役割分担はされていますか。

していないです。最終決断は私が行いますし、父も私を立ててくれています。ただ、最終決断に至るまでに、ふたりでたくさん会話をしますね。会社のデスクも隣同士ですし、仕事の合間に「この話は、明日ほかのメンバーも集めて話そう」とか、ビジネス上の雑談を多くしています。

――それって珍しいですよね。親子で仕事の会話をすると、喧嘩になったり、対立構造が生まれたりするから、話したがらない人が多い印象です。

そうなるのも、すごくよく分かりますよ。良かったのは、父が挑戦することに対して積極的だったからでしょう。父は昔、先々代の社長だった祖父と考え方が合わず、会社を飛び出したことがあるんです。

――そうなんですか。

祖父は、時代背景なども有ったと思いますが、会社が傾いても何も変えようとしなかった。対して父は、会社のために、変えていかなきゃだめだと動く人。父は、トライ&エラーで会社を変革してきた経験があるから、挑戦することを後押ししてくれるんです。それが積み重なっていった結果、父と私だけでなく、会社全体に失敗してもどうにかなるから、まずはやってみようという空気が流れるようになりました。

――社長がGOサインを出したものが失敗した場合は、どうするんですか。

ダメだと思ったらすぐに「失敗してごめん」と謝って、次にいきます。先代を見ていて一番勉強になったのは、逃げ足の速さですから(笑)。失敗しても引き返せる。だったら、やりたいことを発言してみようという風土を醸成できたのは、会社の発展にも繋がりました。やってみてダメだったら引き返すを積み重ねてきたのは、私たちの強みです。会社の規模が大きくなり、そこがやりにくくなっている、自分自身もそれが完全に出来ているとは思っていないため、意識的にこれは推していっています。

超現場実践型OJTで、社員のモチベーションを上げる

――新入社員への教育で、大切にされていることはありますか。

現場で学ぶこと、そして自分が所属する部署以外の仕事も経験しておくことが、ものづくりの会社においてはとくに大事だと思っています。ウチの古株メンバーを見ていても、さまざまな現場を経験してきたことが、武器になっていると感じるんです。完全分業制にすると仕事を覚えるのは早くなりますが、業務の繋がりが分からないので帰属意識やモチベーションが停滞してしまう。そこに危機感を感じて始めたのが『クラフト獺祭』です。

――どのような取り組みなのでしょうか。

若手社員がペアになって、洗米から蒸し米、麹・発酵の仕込み、瓶詰めまで酒づくりのすべてを経験して『獺祭らしい獺祭』というテーマで酒を造るんです。各部署の作業をするうちに「自分がやっていた洗米は、発酵とこんな関係があるんだな」「麹の力価(米を溶かす強さ)はこういう意味が有るんだ」みたいなことが分かるようになるんですが、それが大事なんです。そして当然「簡単に出来ると思ってたのに違う」「理屈上はこうやったらこうなるはずだったのに」などといった失敗も多々ありますが、それがいい。酒づくりの楽しさや、自分たちがやっていることの意味を知ってもらうことを目的にした取り組みですね。できる限り、販売にも携わってもらうようにしています。

――超現場実践型OJTをしているということですね。

そうですね。現場実践型でいうと、昨年作ったアメリカの酒蔵に本社から選抜したメンバーがサポートに行っているのですが、これにも良い点が2つあります。ひとつは、主任以上のクラスを現場に送ることで、その社員のモチベーションが上がること。日本みたいに全部が整った環境ではなく、ある意味何も整っていないぐちゃぐちゃな環境に送り込まれることによって、自分の仕事を改めて言語化できたり、整理できたりするようになるんです。役職のついた社員たちに、良い刺激を与えられていると思います。もうひとつは、上司がしばらく抜けることで、部下が伸びて、頭角を現すようになること。海外に拠点ができたことによって、新しい循環を生み出せたのは良かったなと思います。

災豪雨災害からの復活「獺祭・島耕作」誕生の裏側

――平成30年の豪雨災害では、近くの川が溢れて御社も被害を受けたそうですね。このような災害が起こることは想定されていましたか。

まったく想定していなかったです。旭酒造の酒蔵は300年ほど存在していますが、その長い歴史のなかで、雨による土砂災害は一度もなかった。まさか蔵が浸水したり、送電線が破断したりするなんて思いもしませんでした。

――被災後はどんな対応を?

1度起きたことに対し、何かしらの対策を講じるのは会社として当然だと思っているので、発電機を設置したり、酒蔵に防水壁をつけたり、周辺の川を整備して氾濫しないようにしたりしました。想像もできないような災害が起こった時、その後にどう立ち直るか、どう前向きになるかを考えるのが重要だと気づかされましたね

――その時に誕生したのが、『獺祭島耕作』なんですよね。

そうなんです。地元出身の漫画家・弘兼憲史先生ご協力のもと、被災地支援として『獺祭島耕作』を発売しました。送電線の破断で停電が発生し、約70万本の『獺祭』が発酵している仕込室の温度コントロールが不能となってしまった。普段はその環境の中で、タンク一つ一つの発酵をシビアに世話しているのに、それが出来なかった。一般的な純米大吟醸としては及第点、でも通常の『獺祭』として出荷することは難しいので困っていたところ、弘兼先生が「島耕作の名前を使って、商品を発売していいよ」と言ってくださいました。最短で商品化できるようにラベルも急いで作成して、なんとか発売にこぎつけました。今でもマーケティング関連の企業の方なんかからは、「予め準備していたの?」と言われる時間感でした。ありがたいことに反響が大きく、売り上げの一部を義援金として被災地に寄付することもできました。突貫工事でしたが、とにかく動いてみるという当社の強みが存分に発揮された出来事だったと思います。

――2020年以降にはコロナ禍もありましたが、その時はどうされていたんですか。

コロナ禍でもとにかく動くを実践していました。酒の売り上げがガクンと落ちたので、原料米の山田錦を販売してみたり、米を消毒用エタノールに転換してみたり。さっき話に出た『クラフト獺祭』の取り組みも、実はコロナ禍で生まれたものです。すべてが上手くいったわけではありませんが、常に何かしら動いている状態をキープできていたので、海外の経済が回復しはじめたのに合わせて、我々もすぐに動き出すことができました。当社の売上高がコロナ禍でも大きく伸びたのは、その結果だと思います。

海外でも月でも、日本酒が当たり前になるように

――アメリカの酒蔵も完成しましたが、今後の展望を教えてください。

野望は2つあります。ひとつは、アメリカの良いお店に行ったら『獺祭』が必ず置かれていて、お客さんが当たり前に『獺祭』を飲んでいる状況を作りたい。今、私たちの日本酒の輸出額が好調なのは、日本食マーケットで上手くいったというだけなんです。次のフェーズに行くためには、日本食を食べるから日本酒を飲むではなく色々なジャンルの料理と合わせておいしいから、日本酒を飲むにならなければなりません。そのために、これからもどんどん酒の品質を上げていきますし、海外の方に『獺祭』の価値を伝え、ファンになってもらう努力もしたいと思っています。ふらりとお店に入ったら、横のカップルが『獺祭』を飲んでいた、みたいな光景が見られたら最高ですね。

――もうひとつの野望は?

だいぶ先の夢ですが、月で酒を造りたい。月に行きたいという私の私利私欲も乗っかったプロジェクトですが(笑)、実はJAXAの力を借りて、実証実験段階までいこうとしているんです。月には水がたくさんあるので、米を月に持ち込んで酒蔵を作れば、酒が造れるのではないかと。移り住んだ先にお酒があると、そこでの生活がさらに楽しくなると思うんですよね。

――社員さんたちは、このプロジェクトに賛同してくれているのですか。

温度差はありますが、「おもしろいね」とは言ってくれています。正直、全員が同じモチベーションで臨むのは難しいだろうと思っているのですが、「あいつ最近、月のプロジェクトで楽しそうだな。俺も俺でがんばろう」みたいに、社員同士で刺激し合える環境は創れるのではないかと。その連鎖で、会社がさらに盛り上がっていくことを期待しています。そのために今後も、社員がワクワクしたり、モチベーションを保てたりするプロジェクトをどんどん立ち上げていきたい。とにかく動いてみるですね。

旭酒造株式会社

1948年創業、純米吟醸酒国内トップシェアを誇る山口件岩国市にある酒造。日本酒の伝統的な製造体制である杜氏制度を廃止し、200名を超す社員が手作業で酒造りを行っていることでも有名。伝統という言葉に甘んじることなく、革新のなかから、よりおいしく、より進化した酒を造り出そうとする旭酒造の姿勢を象徴している。1990年から展開している主力ブランド「獺祭」は、国内のみならず海外30か国以上で支持を獲得。2023年春には、ニューヨークに立ち上げた同社初となる海外製造拠点が稼働を開始し、日本文化および日本酒の新たな価値創造に向けて挑戦を続けている。

桜井一宏氏

1976年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学社会学部卒業後、酒造とは関係のない東京のメーカーに就職。しかし、たまたま飲んだ実家の酒のうまさに感動し、家業を継ぐことを決意。2006年に旭酒造に入社、製造部門での修業を経て2013年から海外販売を担当する。とっかかりがないなか単身アメリカへ飛び、飲食店や酒屋に飛び込み営業をかけるなど地道な営業活動を展開。とことん味にこだわった「獺祭」のうまさは口コミで評判となり、世界進出の礎を築く。2016年、新本社社屋が完成するのにあわせて3代目(現会長・桜井博志氏)から事業承継し、4代目社長に就任。

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執筆プロフィール
BUDDY+編集部
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