インタビュー
ミッション・ビジョン・バリューを社内に浸透させる
平安伸銅工業株式会社代表取締役
- 更新日:2024/06/10
- 投稿日:2024/05/31
いまや暮らしのなかで当たり前の存在となった「突っ張り棒」。その第一人者である平安伸銅工業3代目社長の竹内香予子(かよこ)さんは、元新聞記者という異例の経歴をお持ちです。 三姉妹の末っ子として生まれた香予子さん。家族から「家業を継いでほしい」と言われることはなかったものの、「自分の力で稼いで生きていく経済力をもちなさい」と常々言われて育ったそうです。学生の頃に書いた、祖母の被爆体験をまとめた手記がきっかけで、報道の仕事に興味を持ちはじめます。その想いを決定的なものにしたのは、大学生の頃の中国への留学経験でした。現地で反日運動を目の当たりした香予子さん。日本が嫌いで石を投げている人がいる一方で、自分の友達との関係は良好。単位が国になった途端に、両者に橋が架けられない状況に大きな違和感を抱き、「自分が何か伝えることで社会を良くしたい」という想いを強くします。そうして新聞社への就職を決めました。 大きな使命感のもと、新聞記者として走り回っていた香予子さんですが、理想と現実とのギャップに悩み、退職を決意。現夫の一紘(かずひろ)さんとの結婚を視野に入れていたところ、お母様から「お父さんの体調が悪い。家業を手伝ってくれないか」と連絡が入ります。ファミリービジネスに抵抗があった香予子さんですが、一紘さんの説得もあり、お母様からの依頼を引き受けることに。当時、ご両親としては会社を継いでほしいというわけではなく、状況が落ち着くまで手伝ってほしいという気持ちだったそうですが、香予子さんとしては「家業に入ると覚悟したからには、当たり前に継ぐことまで決めていた」と笑います。2010年には一紘さんも公務員を辞めて平安伸銅工業に入社し、二人三脚で会社を引っ張ることに。2015年に晴れて、香予子さんが3代目社長に就任します。それからというもの、会社の業績はうなぎのぼり。成功の秘訣を香予子さんにうかがいました。
- この記事でわかること
親が築いた地盤を利用して事業承継するのは、恥ずかしいことだと思っていた
――家業に入るまで、ファミリービジネスに対して抵抗があったとうかがいました。
そうなんです。周りの後継者からも似たような話を聞くので“後継者あるある”だと思うんですけど、親の地盤を使うのはせこいとか、恥ずかしいという感情があって。私自身、小さな頃から親の支援なしで社会に出たいと強く思っていたし、新聞記者を辞めて転職活動をしている時もたとえ思うような収入が得られなくても、自分自身がちゃんと評価される場所を自分の力で探したいと思っていました。なので家業に入ることはまったく考えていなかったんですけど、主人からのアドバイスで考え直すようになって。
――どのようなアドバイスがあったのでしょうか。
どこがスタートラインなのかは問題ではなく、スタートラインから自分の力でどれだけ前に進められるかが問題なのでは?とアドバイスをくれたんです。あなたにしか引き継ぐことができない環境がたまたま目の前にあるってだけで、そこからどうプラスに変えていくかにあなたの価値がある。だから親の地盤を引き継ぐことは後ろめたさを感じることではまったくないし、堂々としていればいいとも言ってくれて。主人に背中を押してもらえたのは、大きかったですね。
――事業承継した時に、先代のお父様から残してもらっていて良かったと思ったものはありましたか。
すでに社会で一定数評価されている商品があること、そしてその商品を支える会社の仲間たちがいたことです。商品が売れることでキャッシュが生まれ、取扱店舗さんからの厚い信頼も得られるという好循環が完成していたのは、ありがたかったし心強かった。やはり資金がないと新しいことに着手することはできないので、未来に向けての投資をはじめられる地盤ができていたのは良かったと思います
――未来に向けての投資というのは?
次の収益の柱になる新商品・新サービスを作ることですね。今のままビジネスを続けていても、5年後10年後には頭打ちになると思ったので、一定の収益が得られている今のうちに、次の柱を作っておかなければという危機感がありました。しかし、父はそういう危機感をもっていなかったので、父の意向を汲んで働いてくれている会社の仲間たちとの温度差はどうしてもありました。新しいことを始める時って実績がないから、どれだけ勝算があるのか提示ができないですよね。それだったら、すでに実績がある既存事業をやったほうが成果が上がると思われて、なかなか振り向いてもらえなかったんです。その気持ちも、すごくよくわかるんですけど。
――その状況をどのように打破したのでしょうか。
軌道に乗るまで、新規事業は最少人数でやるようにしていました。私と主人も現場に入って、汗をかきながらプロジェクトを引っ張っていくうちに新商品が外部から評価されるようになり、そこで初めて社員たちも安心して計画に乗ってくれるようになりましたね。あとは新商品が、社員にとって誇れる商品に成長したことも大きかったです。社販制度を新たに作って、社員たちに実際に新商品を使ってもらう機会を作りました。あとは、知らないうちに、自分の子どもの学校で新商品が使われていたなんて事例も出てきて、この素晴らしい商品は、自分が関わって世に送り出されたものだという“自分ごと化”が進んだのも、好影響を与えたと思います。
経営者が「こうしたい」と考えていることを強く押し出したほうが、組織としてブレない
――平安伸銅工業では「暮らすがえの文化を創る」というミッションを掲げています。これは、どのように誕生したのでしょうか。
まず、2018年に会社のビジョンとバリューを言語化したんです。中途採用で新しいメンバーが次々に加わり、組織がグッと大きくなったタイミングだったんですが、みなさん過去の経験や過去に属していた組織文化の名残りがあるから、集まった時に足並みが揃わないという課題があって。そこで初めて、平安って何者なのか、平安はどこに向かって進んでいるのか、そしてそのために何を大切にしてチームで取り組んでほしいのかを言語化することにしました。
――具体的に、どのように進めましたか。
メンバーを巻き込んでプロジェクトとして叩き台を作りつつも、最終的には経営者がこうしたいと考えていることを強く押し出したほうが、組織としてブレないだろうと考えました。そこで平安がこれまでの歴史で培った平安らしさと、私と主人が平安で叶えたいことが重なる部分をビジョンとバリューとして言語化したんです。しかし実際に運用を始めると、ビジョンとバリューだけでは抽象的すぎて、うまく機能しないことがわかりました。みんなに『新しいアイデアを出してほしい』と頼んでも、こちらが期待したものがなかなか上がってこず、真剣に議論して発表してくれたアイデアをボツにせざるを得ない時期が続いてしまい……。現場の士気も下がっているし、このままではいけないと、2020年にヘイアンコンパス を策定しました。ビジョン、バリューにくわえてミッションを言語化したもので、『暮らすがえの文化を創る』もこの中に出てきます。
――一度は失敗したかもしれませんが、まずは経営者が「こうしたい」を社員にしっかりと伝え、意思統一をした過程はすごく大切だったのではと思います。いきなりコンパスを作ろうとしても、上手くいかなかったかもしれないですよね。
そうですね。最初の言語化の時に、私たちの未熟さのせいで辞めちゃった仲間がいたことをものすごく後悔しているので、ヘイアンコンパスでは、単に数値計画を設計するのではなく、どのような使命を果たすために、どのような意識で、何をどうするのかまでしっかりと定めました。社員の道しるべになってほしいと思っています。
人を集める手段は、ひとつに絞らない
――御社では、普通の中小企業ではありえない量の情報を、SNSや媒体を通して発信されていますよね。香予子さんも自分のnoteをやられているし、こうやって取材もたくさん受けられているし。
そうなんですよ!発信場所がたくさんあるから、自分でもちょっとパニックになっています(笑)
――どういう意図でやられているんですか。
人が共感するポイントって十人十色だから、人を惹きつけるためには、さまざまな手段で伝え続けることが大事だと思っているんです。自分がメディア出身ということもあって、どういう情報が人を惹きつけるのかが、わかるんですよね。たとえば今日みたいに経済系の取材を受ける時は、新しいビジネスモデルや革新的なことにチャレンジしている企業さんに興味を持っていただけることを期待して話しますし、私のnoteだったら、社長目線の情報発信はあえて控えて、私の普段の暮らしぶりや人となりを通じて平安のファンになってもらうことを目的に運用しています。ほかにも商品を紹介するSNS投稿だったら、購買検討に繋がってほしいという想いと、平安という会社の存在を知ってもらうことで採用活動に繋がってほしいという期待を込めて発信していますね。
――人を集める手段において、正解を一つに絞らないってことですね。
そうです。平安に興味を持ってくれている方が情報を掘り下げていくなかで、平安にまつわるさまざまな情報に触れられるような導線設計を常に考えています。
――今後、平安伸銅工業にどんなふうになってほしいですか。
大量生産・大量消費で物質的に満たすビジネスは、すでに飽和していると思うんですよ。私たちの突っ張り棒ビジネスは、大量生産の時代に評価されたビジネスモデルなので、そこから脱却して次のステージに行く必要がある。キーワードはより、お客様に近づいていくです。今後もチャネルとして流通さんのお力をお借りしたいと思っていますが、お客様が流通さんに行きつくまでに、私たち自身でお客様を呼び込んでおく力が必要だと思っています。売り切りのビジネスではなく、お客様にしっかりと体験を提供し続けるビジネスに移行することで、お客様との関係が強固なものとなり、私たちが提唱する『暮らすがえ文化』をお客様といっしょに創り上げられるはずです。
平安伸銅工業
1952年に大阪府で銅を加工する町工場としてスタート。他社に先駆けてアメリカからアルミサッシの製造技術と工作機械を輸入し、木製サッシに代わる商品として日本中にアルミサッシを普及させた。アルミサッシ事業が成熟期を迎えると、アメリカでシャワーカーテンを吊り下げる道具として使われていた「テンションポール」を、ネジやクギを使わずに収納空間を増やすことができる収納用品「突っ張り棒」として用途提案し、瞬く間に大ヒット。その後も新ブランドを次々と立ち上げ、リフォームのような大改造を加えなくても、家族の成長や時代の変化に合わせて空間を柔軟にアップデートしていく「暮らすがえ」という新しい文化を日本に普及させることを目指している。
竹内 香予子氏
1982年、兵庫県生まれ。同志社大学を卒業後、新聞記者を経て2010年に平安伸銅工業に入社。父親から事業継承し、2015年に三代目社長に就任。自らを「つっぱり棒博士」と名乗り、突っ張り棒の魅力や正しい使い方を広める活動を行う一方で、突っ張り棒を現代的な視点で活用した新ブランド「DRAW A LINE」「AIR SHELF」を発表。「自分の手で、自分だけの“私らしい暮らし”を作る」というコンセプトが共感を呼び、売り上げは社長就任時の倍近くに。時代に合わせて手段を変えながらも、平安伸銅工業で脈々と受け継がれてきた「アイデアと技術で暮らしを豊かにする」というビジョンを実現し続けている。
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